(JPN) 豪華ヨットの影に潜む香港の魂:漁港アバディーン、忘れられた5つの物語
これら5つの物語は、賤民としての身分闘争から海洋産業の近代化まで、そして海賊伝説から緻密な宗教信仰に至るまで、香港仔の壮大な歴史絵巻を描き出しています。
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多くの人にとって、香港の香港仔(アバディーン)と鴨脷洲(アプレイチャウ)は、活気あふれる漁港の風景としておなじみでしょう。しかし、この近代的な景色の下には、香港のアイデンティティ、闘争、そして変容の物語を明らかにする、深く驚きに満ちた歴史が眠っています。この現代的な水面のさらに奥深くへと潜り、この土地が語りかける、より深遠な物語を探ってみましょう。
香港仔の知られざる5つの物語
これから、この地区のありふれた風景の中に隠された、5つの深遠な物語を紐解いていきます。
物語1:法の解放と「上陸」への長い道のり ― 蜑民の身分闘争
蜑民(タンカ)は、清朝時代には「賤民戶籍」に分類され、社会的な差別に直面していた水上生活者でした。彼らは陸上の住民と同等の権利を持つことが困難でした。しかし、1729年に雍正帝が画期的な勅令を発布し、法的に彼らの賤民としての身分を撤廃します。
蜑戶本屬良民,無可輕賤擯棄之處
この勅令は、「蜑民は本来良民であり、軽んじたり見捨てたりすべきではない」という意味を持ち、彼らに市民としての地位を与えようと試みました。
しかし、法的な解放が、すぐに社会的・経済的な平等につながったわけではありませんでした。これは歴史において繰り返されるテーマ、すなわち法的な布告と人々の現実の生活との間に存在する、埋めがたい時間差を物語っています。勅令には「有力能建造房屋」(家を建てる資力がある者)という経済的な条件があったため、ほとんどの蜑民は何世紀にもわたって船上での生活を続けざるを得ませんでした。
この物語の隠れた宝は、戦後、蜑民を定住させるために建設された最初の公共住宅の一つである_漁光邨(Yue Kwong Chuen)_です。この団地は、1960年代に起きた涌尾の艇戸大火などの出来事や戦後の近代化によって、蜑民が水上から陸上へと生活を移した最後の移行期を物語る、生きた証なのです。
陸に上がった彼らが見たのは、かつて自分たちが暮らした「水上の都市」が姿を変えていく様でした。

物語2:「水上の清明上河図」― 消えゆく浮かぶ都市の記憶
かつての香港仔台風シェルターは、活気に満ちた自給自足の浮遊都市であり、「水上の清明上河図」と呼ぶにふさわしい光景でした。
水上には、日用品から乾物までを山と積んだ「雜貨艇」の呼び声が響き渡り、家庭の燃料となる薪を運ぶ「木柴小艇」が静かに行き交います。子供たちは「雪糕艇」(アイスクリームボート)の軽やかな鐘の音を心待ちにしていました。そして、今や香港仔名物として知られる艇仔粉(ボートヌードル)の起源となった「粉艇」からは、食欲をそそる香りが漂っていたことでしょう。
中でもユニークな存在だったのが「曬家船」(乾燥船)です。これらはエンジンを持たない停泊したはしけ船で、住居として使われると同時に、有名な「九龍吊片」(イカの干物)を生産する作業場でもありました。しかし、この伝統的な技術は今やほとんど失われてしまいました。
この物語の隠れた宝は二つあります。一つは、現在も塩漬け魚の加工を続けている_最後の現役「曬家船」で、これは生きた無形文化遺産と言えるでしょう。もう一つは、今も味わうことができる艇仔粉(ボートヌードル)_で、かつて栄えた水上移動レストラン文化の最後の名残です。
この水上都市には、優雅な香りと荒々しい無法者が共存する、もう一つの顔がありました。

物語3:「香江」と海賊 ― 地名に秘められた二つの顔
香港の雅称である「香江」(フレグラント・ハーバー)の起源は、帆船時代に船に不可欠な真水を供給した小川に由来するという伝説があります。
この伝説にまつわる隠れた宝は、その水源があったとされる場所、_瀑布湾(Waterfall Bay)_です。ここは初期の海上貿易における重要な補給地点でした。
しかし、この優雅な起源とは対照的に、この地域は19世紀の有名な海賊、張保仔(チョン・ポーチャイ)の隠れ家でもありました。入り組んだ入り江や島々は、彼の紅旗艦隊にとって完璧な聖域を提供したのです。
この物語のもう一つの隠れた宝は、鴨脷洲にある_伝説の海賊の洞窟_です。張保仔が財宝を隠した場所だと広く信じられています。
「香り」(貿易)と「海賊」(無法)というこの二面性は、香港の複雑な初期の歴史そのものを捉えています。そして、この荒々しい海を生き抜くためには、人知を超えた力への信仰が不可欠でした。

物語4:海の神々の「役割分担」― 鴨脷洲の洪聖信仰
蜑民の信仰体系には、二つの主要な海の神々の間で洗練された役割分担が存在しました。近海の天候を司るのは洪聖爺(ホンシンイエ)、そして遠洋航海を守るのは天后(ティンハウ、媽祖)だと信じられていたのです。
この信仰は、漁師たちの現実的なリスク評価を文化的に反映したものです。ほとんどの漁師が近海漁業に従事していたため、地元の天候を支配する神は彼らの生存にとって極めて重要でした。
かつては、家族の労働力を増やすために洪聖爺に息子を授かるよう祈る習慣がありましたが、近代化とともにこの慣習はほとんど見られなくなりました。
この信仰の物理的・精神的な中心となっているのが、隠れた宝である歴史的な_鴨脷洲洪聖廟(Ap Lei Chau Hung Shing Temple)です。そして、もう一つの宝が、毎年旧暦2月13日に行われる洪聖誕祭典(Hung Shing Festival)_です。これは、コミュニティの生きた伝統を体験できる、香港の重要な無形文化遺産の一つです。
時代が移り、信仰の形が変化するように、漁港そのものの姿もまた、劇的な変貌を遂げつつあります。

物語5:鉄の船と豪華ヨット ― 漁港の現代的ジレンマ
漁業を単なる「斜陽産業」と見るのは早計かもしれません。香港の漁業は、高資本の近代産業へと進化を遂げました。現在では、一組あたり約3,000万香港ドルもする巨大な「鐵殼雙拖漁船」(鋼鉄製のトロール船)が登場しています。
しかしその一方で、この港は豪華ヨットのマリーナとしても発展し、今やヨットの数が漁船を上回ることも珍しくありません。その結果、ヨットの所有者と地元の漁師たちのライフスタイルの違いから、共有水域の利用をめぐって「磨擦」(摩擦)が生まれるなど、社会的な緊張が生じています。
この物語の隠れた宝は、物理的な場所ではなく、「社会観察ツアー」とでも言うべき_ヨットと鉄製漁船が隣接する景観_そのものです。ここでは、現代香港の階級格差と空間をめぐる対立を視覚的に理解することができます。
さらに、伝統的な造船所は後継者不足の危機に直面しています。熟練の職人が一人、また一人と引退していく姿は、ある哲学的な問いを投げかけます。それはまるで「テセウスの船」のようです。船の部品が一つずつ交換されていくとき、それはいつまで同じ船であり続けるのでしょうか? 同じように、この港の魂もまた、少しずつ別のものに置き換えられているのかもしれません。

水上の記憶はどこへ向かうのか
これら5つの物語は、賤民としての身分闘争から海洋産業の近代化まで、そして海賊伝説から緻密な宗教信仰に至るまで、香港仔の壮大な歴史絵巻を描き出しています。
豪華ヨットが漁船に取って代わり、古い技術が消えゆく中で、一つの問いが浮かび上がります。私たちが今日目にする香港仔は、かつての漁港の魂を乗せた、あの頃と同じ船なのでしょうか?
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